1.糖質制限食の疫学(コホート研究)と臨床研究
糖質制限食の有効性や課題について示唆に富む論文が発表されています。
多くは灰本先生のローカーボ研究会のホームページの概論と山田悟先生の「糖質制限食のススメその医学的根拠と指針」から教えられました。
灰本先生がそのホームページでよく言及されているコホート研究について考えます。
二つのコホートを対象にしています。女性についてはNHS(Nurses Health Study) と呼ばれているコホートを対象にしており、コホート開始時、30才から50才の看護師121,700名を含んでいます。男性については、HPFS(Health Professional Follow-up Study)と呼ばれるコホートを対象にして、リクルート開始時40才から70才の薬事師、歯科医師など(医師は含まれていません)医療に従事している51,529名を対象にしています。 追跡は20年から26年にわたって行われています。留意したいのは、いずれのコホートも健康なアメリカ人を対象にしており、健康意識の高い人です。
研究の方法は、食事調査を定期的に行い、炭水化物摂取量を多い方から少ない方に10のグループに分け、それぞれの群で以下のエンドポイントで有意性があるかを分析しています。
全死亡、心血管病(CVD)による死亡、癌死、2型糖尿病の発症です。
さらに、タンパク質、脂肪の摂取について、動物性か植物性由来かを区別して分析がなされています。その結果を表に纏めました。リスクが高いか低いか有意性がある項目についてはアンダーラインを引いています。全死亡、心血管病(CVD)、による死亡、癌死のリスクについて男性であるか女性であるか、タンパク質、脂肪の摂取について動物性由来か、植物性由来かによって、結果は相違しています。男性について見ると、低炭水化物食の群で、動物性蛋白質、脂肪を多く取っている人は、いずれの原因による死亡で、有意に高くなっています。(HR 1.31, 1.21, 1.45)
しかし、興味深いのは、低炭水化物群で、植物由来のタンパク質、脂肪を多く取っている人では、全死亡、心血管病(CVD)による死亡は有意に低下しています。(HR 0.81,0.77)
癌死は有意ではありません。一方、女性について見ると、有意性を示すエンドポイントについては同様ですが、男性に比べて、動物性蛋白質と脂肪を摂取する男性にみられた全死亡、心血管病(CVD)癌死 による死亡のリスクは低くなっていいます。(HR 1.17, 1.07, 1.15)
2型糖尿病の発症についてはどうでしょうか。やはり、男性か女性、低炭水化物食群でも動物性蛋白質、脂肪を摂取するか、植物性蛋白質、脂肪を摂取しているかによって、結果は大きく異なっています。全体として見ると、男女とも、低炭水化物食では有意に発症のリスクが高くなっています。(HR 1.96, 1.40)
男性では、低炭水化物群で、動物性蛋白質、脂肪を多く取る人は、糖尿病の発症リスクが有意に高くなっていますが、植物性蛋白質、脂肪を多く取る人では、有意ではありません。一方、女性では、動物性蛋白質、脂肪を多く取る人では、発症のリスクは有意に高まりますが、植物性蛋白質、脂肪を多く取る人では、むしろ、リスクは有意に抑制されています。
2型糖尿病の発症には、BMI (肥満度)、ウエスト周囲径、空腹時血糖、家族歴が重要な予測因子であることはよく知られています。この研究でも、BMIで補正されており、結果は興味があります。男性で、全体と、動物性蛋白質、脂肪を多く取る群でのみリスクは有意に高まっていますが、有意性は低下しています。
女性では、動物性蛋白質、脂肪を多く取る人では有意性がなくなっています。
植物性蛋白質、脂肪を多く取る群では、男性でも有意性がなくなるばかりではなく、女性では、むしろ発症のリスクにおいて抑制的です。つまり、低炭水化物食で、動物性蛋白質、脂肪を多く取ることと、BMI(肥満度)が関与していますが、低炭水化物食で、植物性蛋白質、脂肪を多く取る群では、男性では、有意性がなく、女性ではむしろ抑制的であることは興味深いです。
このコホート研究を構成する対象の人は多く、追跡機関も長く(20年から26年)解析では交絡因子をできるだけ調整していますが、筆者たちも指摘しているように、アメリカの一般住民を代表していません。(上に述べた理由です)まして、糖質制限食で恩恵をうける糖尿病患者さんに、この研究の結果をどこまで外捜できるか慎重に考える必要があります。糖尿病では、高血糖(食後高血糖を含む)、インスリン抵抗性、脂質異常症、肥満、炎症など心血管病(おそらく癌も)のリスクを高めます病態が存在します。
糖尿病の患者さんは糖質制限食を行うことで、高血糖、脂質異常症、体重減少を認めますから、このコホート研究で示されたリスクは相殺される可能性があります。。
一般住民を対象としたコホート研究の結果を、患者集団に該当することには注意が必要です。その意味で、糖尿病の患者さんを対象にして、従来のカロリー制限食と糖質制限食を、無作為にふりわけ、追跡し、上記のエンドポイントのリスクを比較する必要があります。倫理的には問題のない臨床研究ですが、食事療法の順守度などをどのように担保するかなど課題はあります。
臨床研究では、Direct試験が注目されます。私が江部先生のご本に触発され、糖質制限食について色々考えていたときに、この論文が発表されたので、インパクトがありました。この研究では、322人の肥満の人(平均52才、BMI 31,2型糖尿病の患者さんは14%)を対象に、「低脂肪食、カロリー制限あり(男性は1800kcal、女性は1500kcal) 」「地中海食、カロリー制限あり(上記)」「低炭水化物食、カロリー制限なし」の3群に分け、(最初2か月は1日20gの炭水化物、以後、1日120gの炭水化物の摂取を維持する)体重減少、糖脂質代謝および関連したバイオマーカーを2年間追跡しています。
「地中海食」と「低炭水化物食」は体重減少と一部の糖脂質代謝の改善において、「低脂肪食」よりすぐれているという結果でした。そして、体重減少に2つの相があることが示されています。最初の6か月の有意に体重が減少する相と6か月以降24か月まで体重の再増加とそれがプラトーになる相です。
「低炭水化物食」は後者の相でも、体重は有意に低下しています。さらに、この研究は糖脂質代謝、adiposity(英語で表現したのは脂肪の量だけでなく機能を含めた語であることです)に関連したバイオマーカー(レプチン、アヂポネクチン、好感度CRP, RBP4,MCP-1など)をベースライン、6か月、24 か月で測定し、明らかに2つのパターンに分かれることを示しています。パターンAは上記の体重変化の2つの相に並行して変化します。
6か月で最も低下し、以後回復します。パターンAの動きをとるバイオマーカーには、インスリン、中性脂肪、レプチン、RBP-4,MCP-1が含まれます。脂肪の量(体重変化)と関連しています。パターンBは体重の変化の2相の変化と関係なく、そのバイオマーカーの持つ良い生物学的意義の方向に動きます。パターン4Bの動きをとるバイオマーカーには、HDL-C,アディポネクチン、好感度CRPが含まれます。この変化は「低炭水化物食」によく見られ、この食事が体脂肪の機能的変化をもたらす可能性が示唆されます。
日本では、灰本先生方の臨床研究があげられます。ヘモグロビンA1c(HbA1c)の低下、脂質代謝の改善(LDL-Cは不変、中性脂肪の低下、HDL-Cの上昇)体脂肪の減少を明らかにされています。
最後に、山田悟先生がしばしばご本で言及されている、バーンスタイン先生の総説に拠って糖質制限食の効果をまとめます。
- 炭水化物制限食(糖質制限食)は食事療法の第一の目標である血糖コントロールを改善し、インスリンの変動を減少する。
- 炭水化物制限食(糖質制限食)は低脂肪、カロリー制限食に比べ、少なくとも同等に体重減減少に効果がある。
- 脂肪を炭水化物(糖質)に置き換えることは、心血管病(CVD)のバイオマーカーや発症に、一般に有益に働く。
- 炭水化物制限食(糖質制限食)はメタボーリックシンドロームの構成要素を改善する。
- 炭水化物制限食(糖質制限食)の有益な効果が表れるには、体重減少は必要でない。
2.糖質制限食の定義 ― 糖質をどこまで制限するか
この問題を考える基準が必要です。私は、山田 悟先生とそのご本で示されているバースタイン先生の論文に示されている定義を基準にしたいと考えます。
その論文の定義は「アメリカ糖尿病学会(ADA)は低炭水化物食(糖質制限食)を一日炭水化物(糖質)接摂取量130g以下または従来の2000kcal の26%以下と名付けており、私たちのその数数値を妥当と考える。(a low-carbohydrate diet)肥満が蔓延する前の炭水化物消費は平均43%なので、26%から43%までを中等度(おだやかな)炭水化物食と考える。(moderate-carbohydrate diets)(複数形になっているのは、糖質摂取量に幅あることを認めています。また、この数値は2000kcalと想定してのものと考えておきます)一日炭水化物(糖質)摂取量30g以下は超低炭水化物食と呼ばれるべきである。(a very low carbohydrate diet)「ケトン食」という言葉は、てんかんの治療食を呼ぶために残しておけばよい」ですから、山田先生は広義の糖質制限食は一日の糖質摂取量が130g以下(一食40g以下)としています。
さらに厳しく糖質制限を行うアトキンス・ダイエットは、一日の糖質摂取量が50g以下(一食20g以下)ですから、狭義の糖質制限食とされています。
この厳しい糖質制限の下では、ケトン体産生が起こりますから、これ以下の糖質制限は避けるべきだとされています。 つまり、山田先生は「一食あたり20g以上40g以下の糖質量に制限する糖質制限食」を勧めておられます。
(糖質が解糖系とTCA回路を介して燃えてから、脂肪が燃えますから、糖質制限を厳しく行うと、脂肪酸が酸化されケトン体が産生されます。
しかし、どこまで糖質を制限すれば、糖尿病性ケトアシドーシスの時にみられる病的なケトン体産生につながるのか明確ではないと思います。)
江部先生の提唱されている糖質制限食はアトキンス・ダイエットの糖質制限からバースタイン先生の糖質制限まで幅があり、選択は患者さんに任せられているようです。
また、灰本先生もそのホームページに書かれていますが表現はやや異なっています。
一日糖質摂取量130g以下に制限しない方がよく、灰本クリニックの食事記録からは1日2食制限にほぼ一致しており妥当な数値と考えておられます。
この点、上に述べた山田先生の糖質制限食はやや厳しいと考えられます。
したがって、制限すべき糖質量に関して、少なくとも三つ意見があります。
アトキンス・ダイエットの制限量、山田先生のすすめる糖質制限量、そして灰本先生の一日130g以下にはしない。(この点は、2012年の日本糖尿病学会でも言及されています)(灰本先生のローカーボ研究会のホームページからはあまり明確ではないのですが、上のバーンスタイン先生の定義のなかの26%から43%のおだやかな糖質制限を想定されているようです。しかしこの数値も1日の摂取カロリーが設定されての議論ですから、堂々巡りになりやはり糖質量を決めるのがいいと思います。)(参考のために、ウエストマン先生の総説では、1日に糖質摂取量を50gから150gと定義されています。山田先生の提唱される量とオーバーラップしています。)
では、最も妥当な糖尿病食として制限される糖質の量はどのくらいなのでしょうか。
アトキンス・ダイエットや江部先生の言われる「スーパー糖質制限食」は行き過ぎがあります。したがって、山田先生が提唱されている糖質制限とそれよりおだやかな糖質制限が妥当と思います。しかし、どちらが糖質制限食としてすぐれているかは一概に答えは出そうにありません。それぞれに、高血糖の是正、脂質代謝の改善、体重減少に有効であるとする証拠が示されているからです。
3.糖質制限食の適応と制限
糖質制限食は2型糖尿病の患者さん一般に有効で、有益です。
糖質制限食だけで血糖コントロールが良くなればいいのですが、すべての患者さんがそうではありません。グルコース応答性インスリン分泌障害がある程度ある患者さんには薬物療法(経口剤、インスリン療法)が必要になります。(グルコース応答性分泌障害と糖質制限食の有効性との関係の検討が今後の課題です)どのよう組み合わせが、理にかなっているでしょうか。
(グルコース応答性分泌障害と糖質制限食の有効性との関係の検討が今後の課題です)どのよう組み合わせが、理にかなっているでしょうか。
SU剤は糖質制限食との関係では、低血糖をきたすために、できるだけ使用しないことが原則と思います。ただ、インスリン分泌障害の程度により、使用する場合はできるだけ少量を使用すべきです。インスリン抵抗性改善薬(チアゾリジン誘導体、メトフォルミン)は2型糖尿病では、インスリン抵抗性を伴いますから、糖質制限食の効果を補うことができると思います。インクレチン製剤(DPP-4阻害薬とGLP-1製剤―注射薬―)どう考えたらいいでしょうか。
インクレチンは経口摂取された糖質の量に応じて、インスリン分泌を促進する薬剤ですから、やはり、糖質制限食の効果を補うことができる薬と考えられます。低血糖を起こしませんし、ある程度、インスリン分泌障害進んだ方に、この食事と併用することは、有効であり、今後の2型糖尿病の治療戦略として検討されていくと思います。(この場合、さらに持効型インスリンをさらに併用するやり方も検討されてくるでしょう)
グルコシダーゼ阻害薬(α-GI)は、糖質が制限されている場合でも、糖の吸収はなだらかになりますから、併用の効果は期待できます。
インスリン分泌障害が進みインスリン療法を行っている2型糖尿病の患者さんが糖質制限食を行う場合、注意が必要です。
超速効型インスリンを、一日2回から3回食事の直前に打っておられる方は多いのですが、当然、摂取する糖質の量がカロリー制限食に比べて大幅に減るわけですから、インスリン量の調整をしなければなりません。私は、まず糖質量を固定し(たとえば、一食100gから始め150gで固定)、カーボカウント法に準じて、インスリン量を決めるのがよいと考えますが、検討課題です。
この点は充分に主治医の先生と相談してください。このことは、1型糖尿病の方で、強化インスリン療法をされている方にも当てはまります。また、1型糖尿病の患者さんの中には、成長期の方が多くおられますから、その方が、どこまで糖質を制限したら、成長に問題がないのか、十分検討されていませんから、慎重に考える必要があります。
糖尿病の合併症に腎症があります。腎不全がある程度進むと、蛋白質制限食が食事療法として必要になります。腎症を合併した糖尿病の方が糖質制限食を行うには注意が必要です。糖質制限食では糖質が減る反面、蛋白質と脂肪の摂取量が増えます。
灰本先生方が調査をされています。灰本先生方は、カロリー制限食、糖質1食制限、2食制限、3食制限で糖質、蛋白質、脂肪、総カロリーを比較されています。
興味があるのは、当然、糖質が減り、蛋白質と脂肪の摂取量は増えるのですが、特に2食制限と3食制限で差は顕著なのですが、脂肪の摂取量は大幅に増え、蛋白質の摂取量は増えるのですがゆるやかなのです。
お米にも蛋白質は含まれており、糖質を減らした分、蛋白質も減ります。糖質制限食でどの程度、蛋白質の摂取量が増えるのか検討課題です。
また、腎症には、微量アルブミン尿のステージ、顕性蛋白尿のステージ、腎不全のステージあり、どの段階で蛋白質制限をどの程度行うべきなのか、腎臓病専門医との協議が必要です。